ハノイのはちへお。

from Hanoi, Vietnam

世論が喧喧諤諤。

飽きもせずZone 9です。『Cattan』のクリスマスセールに行ってきたんです。


さてガチで閉鎖の危機に瀕しているZone 9ですが、平常運転でした。各店舗は普通に営業してるし、工事も普通にやってるし。何か役所の人っぽいおじさんもいたけどね…


Zone 9といえば一連の事故の責任はどこにあるのかでもめていたのですが、先月起きた火事については「職務中に起きた不幸な事故」として処理された模様です。出火時の作業員の対応に問題があったのであり、建物に問題はなかったと。それでも多くの人のZone 9に対する不信感は拭えないようです。
一方Facebook上では「Zone 9存続を求める署名活動」も行われており、閉鎖を求める声と存続を求める声がぶつかり合っている状態。ここを遊び場/表現の場として好む若者だけでなく、Zone 9の前身である薬品会社の労働組合組合員の女性たちも駆けつけ、「Zone 9の建物は言われるほど古いものではなく、A棟は1993年に建設工事を終え、それから工場として稼働を始めたし、他の棟についてはA棟よりも新しい。そもそもこの地区の管理が別会社に移る数か月前まで工場として何の問題もなかった場所を、廃墟だとか構造上危ないとか言うのはあまりにも主観的な意見ではないか」と述べ、存続派を支持する意向を示しました。


まあ手すりが落ちて云々は主観的も何もって思うけどね!ほんと階段だけはどうにかした方がいいと思うよ!


さて私はぜひ存続させてほしい一人です。


この元工場の建物には様々な人の時間が、人生が、そしてハノイの歴史が詰まっています。ハノイ、ひいてはベトナムは官や軍の歴史は残しますが、民の歴史は残りにくい。もしここでZone 9が閉鎖されてしまえば、後にどこにでもあるような高層ビルが建てられることになり、いつかここにあったもの、ここにいた人の存在は忘れられていくことになる。それは一つの都市、ひとつの国としてあまりにも不幸なことではないかと思います。民の無い国などないのだから。

40代、50代の人が「昔のハノイ」を美しく思い出すのをたまに聞きますが、その「昔」は本当に彼らだけのものなのか。いつか彼らが世を去った時に、「昔」も一緒に消えて行っていいのでしょうか。その「昔」が若者の手に渡り、「歴史」として守られていくという道は開かれないでいいのでしょうか。

ハノイの人間は辛いことも、嬉しいことも、あからさまには表に出しません。輝く笑顔も、流れた涙も、そのほとんどが心の中に仕舞われて、人に知られることはない。だからといって、それらは共有される価値がないということではないでしょう。ひとりひとりの人生は、ひとつひとつの物語なのだから。
彼ら、彼女らの歴史を伝えるきっかけに、Zone 9はなりうる。「昔」と「今」が交差するこの場所に、私は残っていってもらいたいと思います。

もちろんテナント料がほかに比べて安い(らしい)この場所が、夢のある若者たちの希望の場所となりえるというのも理由のひとつですけどね。



しかし署名活動やら何やらよりもっと気になるのがここの管理会社です。
薬品会社が移転するに当たり、同地区の管理権はビンアン社に渡りました。このビンアン社はここを当初はオフィスやショッピングビル、アパートとして使用する予定だったのを、オフィスとショールームの利用へと計画変更。しかし2012年10月以降、「同地区におけるいくつかの問題」を理由に、ビンアン社は2014年2月28日までの期限付きで他社に管理使用権を移譲する契約を交わし、さらにこの会社がまた別の会社に管理使用権を譲る契約を…というわけで、第3の会社が現在ここを管理しているのです。ただ、ハノイ市やハイバーチュン区とのやりとりは、市から直接管理権が認められているビンアン社がやっているみたいですが。

2014年2月28日がXデーになるのか?

ていうか間にテトも入るのに、現在絶賛工事中のところはどうなるの?

これ契約問題でそうとう揉めるんじゃない?

そんなやっぱり気になるZone 9。何はともあれ残ってほしい!



ほら花も咲いてるし。…って朝顔?!え?!





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