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ハノイのはちへお。

from Hanoi, Vietnam

「伝統」はお金がかかるのだ。

Facebookのタイムラインに、友人がこんな言葉を書きつけていました。

 

『少数民族がいつも支援される立場だとは決まっていないはず。例えば日本のアパレル関係者が少数民族の住む村へ行って彼らの染色技術等々のノウハウを学び、それの対価として、現金を少数民族に払うということはできないか』

 

彼女の書いたこの文が、強く印象に残りました。

 

というのも、ほぼ同じタイミングで、メキシコはオアハカに住む、現地に住む様々な民族の手で生産された製品を日本に向けて販売している日本人女性が、某アパレルメーカーのデザイナーがオアハカで生産されている伝統刺繍と全く同じデザインの服を提案・売り出しながら、現地には一切を還元していないということを問題にしていたからです。

 

メキシコもベトナム同様に「民族さん」の多い国で、たとえば一口に「刺繍」といっても、民族によって全く手法もデザインも違うのです。試しに「オトミ」「サンアントニーノ」「イスモ」「トゥクステペック」で検索してみてください。はっきりとその文化の違いを感じることができると思います。でもみんな、オアハカというひとつの地方の産品です。それぞれ、作り手である民族が異なるのです。サパと同じ。

中でも「オトミ」の、多くの動物や植物がカラフルに施された伝統刺繍は、誰もが知る一流ブランドであるエルメスの目に留まり、ブランドのデザインに使用されています。ここで重要なのは、エルメスははっきりと「オトミのデザイン」を使用していることを公言しており、さらにきちんとオトミの生産者に対してデザイン使用料を支払っているということです。お金を払うということは、そのまま、彼らに、そして彼らが育み守ってきた文化に敬意を表し、さらなる発展を願うということです。

お金は、当たり前だけど、とても大事だ。

「少数民族」というものを考えるときに、私たちはつい彼らに対して、「変わらないこと」を求めがちです。しかし、時代の流れはどうにも止められないし、私も、あなたも、皆変化せざるをえない。なのに、なぜ彼らだけが変化から逃れられるだろうか。

たしかに彼らの文化は守られるべきでしょう。しかし、守るために必要なものがある。端的に言えばお金です。たった50cmの糸、たった1本の針、たった10㎝四方の小さな布、すべてお金がなければ手に入れることができない。まして、彼らの外にいる人間は、常にクオリティを求めます。クオリティを高める、あるいは最低限維持するためには、やはりお金がいる。

まず、クオリティの維持、あるいは向上、または取引相手の要望に応えるためには、何より先に、教育が必要です。メジャーの使い方を知らない人というのは、実は決して珍しくないし、外国人のオーダーに答えるためには外国語を習得する必要もあるでしょう。見落としがちなのは、クオリティを求めた場合、膨大な時間も必要だということ。彼ら/彼女らがいいものを作るために作業に集中している何百時間、何十日、何か月という時間の間に消費される食料であるとか、電気代であるとか、そういったものをカバーするだけの収入が無ければ、当然誰だって「昔」を、「今」を、手放すことになる。人間として生まれたからには、生きていかなければならないからです。保護とはお金のかかる行為なのです。

人はどうも「お金」を汚いものとして考えがちですが、しかし現代において、お金と無関係な生き方をするのは、もうほぼ不可能といっていい。所詮お金は道具です。取引を円滑にするために、必要不可欠な道具。

いいと思ったデザインに、それなりの対価を払う。もらったお金で、よりよい材料を買い、さらにいいものを作る。よりよい材料を現物支給するというのももちろんいいでしょう。そして商品価値が上がり、さらにいい値段で売ることができ、仲介業者もより多くの利益を得ることができる。「高いものは売れにくい」というのはひとつの真実ですが、一方で「安いけど質の悪いものは売れない」というのもやはり真実。であれば、質を上げること(結果、値段が上がること)は悪いことではない。それなのに、アフリカで、中南米で、メキシコで、日本ででさえ、往々にしてそういったことは無視される。結局、彼らの文化をひとつの消費物としてしか認識していない人が多いということ?

私たちは「少数民族」というブランドに、あまりにも多くのことを求めすぎて、結果、彼らの文化を潰しているんじゃないだろうか。前にサパでスカートを探した時の話を書いたけど、あれも文化を安く買いたたこうとした結果ではなかろうか。

 

こんなこと言うと、「じゃあ少数民族の文化を外界に触れないようにすればいい、彼らの居住区に外国人その他は行かないようにすればいい」とか言われそうですが、それは極論であって、現に外の人間がすでに入り込んでしまった以上は、「保護と共存」を軸に考えざるを得ない。

 

考えればとてもシンプルなことなのに、多くの場面で機能しない。以前、サパを悲しい山地と書いたけれど、サパに限らず、多くの伝統が悲しい現状に直面しているのです。文化を愛する人々の言葉に、もっと耳を傾けなければならないと思います。