ハノイのはちへお。

from Hanoi, Vietnam

マラッカについて

マラッカの歴史は14世紀の終わりから始まります。スマトラ島にあった王国の王子・パラメスワラが、隣国との争いから逃れてたどり着いたのが、マレー半島西南にあった港町。そして彼が新たにこの土地に建国したのが、マラッカ王国でした。
インド洋と南シナ海の中間に位置し、季節風が半年ごとにその風向きを変えるため、東西から船のやってくるマラッカは、ヨーロッパとアジアとの貿易の中継地点として栄えました。東西様々な国の商人が集まるマラッカでは一時期84もの言語が飛び交っていたとか。
明との朝貢関係により、周辺国家からの攻撃から守られていたマラッカですが、1511年武力によってポルトガルの支配下にはいります。マラッカ王国の王はマラッカ奪回を図るもののどれも失敗に終わり、他の土地で王国を建設します(マレー王国)。
ポルトガルはマラッカに4つの門を持つ砦を築き、砦の外には華人居住区、南インド人居住区が形成され、これに加えて教会や修道院も建てられました。

17世紀になるとアジアでの勢力拡大を狙ったオランダがポルトガルを撤退させ、1640年から183年間に渡りマラッカを支配下に置きます。しかしオランダが貿易拠点として重用したのはバタビア(現在のジャカルタ)であったため、マラッカの繁栄は止まります。さらに1795年にはオランダがフランスの支配下に入ったのをきっかけに、マラッカにおける権利を守るために、一時的にイギリスに預けられることになります。

イギリスはイギリスでペナンをマラッカ海峡最強の港にするため、マラッカをボロボロにする作戦に出ます。途中、シンガポールを築いたラッフルズが「いや、あかんって」というも時すでに遅し、マラッカの破壊は殆ど終了しておりました。

1818年、マラッカは一旦オランダに戻されるものの、何やかんやあって1867年より英国直轄植民地となります。
その後第二次大戦中の日本軍による支配、イギリスによる再統治などを経て、1956年2月20日、このマレーシアの始まりの地・マラッカで、初代首相・トゥン・アブドゥル・ラーマンがマレーシアの独立を宣言。それから1年半後の1957年8月31日、マレーシアは完全独立を果たしたのです。


さて、マレーシアは交易で栄え、様々な国が入ることにより、言語や生活、文化の面でアジアとヨーロッパの文化のミクスチャーがおきました。
もちろんその走りはマラッカで、そして「文化の受容」だけに留まらず、新しい華やかな文化を作り上げたのが、中国系移民と現地マレー人の混血の子孫であるババ・ニョニャたち。
商人や船員の子孫であった彼らは裕福な暮らしをしており、中国、マレー、ヨーロッパなど様々な国や地域の様式を取り入れた、洗練された衣服、テーブルウェア、宝飾品の生産技術の発展に貢献しました。
このババ・ニョニャの人々は、マラッカ同様に海峡植民地であり、東西交易の要となったペナンやシンガポールにも多く居住しています。

彼らのポリシーは、「人とは違う、美しいもの」。

例えば、現代も私たちの目を引くのが、ビーズ刺繍。


例えば、精緻な刺繍の施されたブラウス(クバヤ)。


例えば、パステルカラーの愛らしい食器。


(以上全て@Peranakan Museum, Singapore)


例えば、住居の様式。

っああ〜たまらん!何が言いたいかって言うと私はこのババ・ニョニャの人々が生み出したこの様式がたまらなく好きでマラッカに通ってる(と言っていいと思う)ってことなんですよ!!

ペナンもマラッカと似た雰囲気があるけれど、生活感がものっすごい溢れていて、その分面白いけども、やはり私は、世界遺産に認定され、観光客が多く訪れるようになりながら、それでも静的な空気を保つマラッカの街が好きです。


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