ハノイのはちへお。

from Hanoi, Vietnam

アオザイ。

ベトナム女性と言えばアオザイ。ベトナムの首都をホーチミンだと思っている人、フォー以外のベトナム料理を知らない人、いまだにベトナム=戦争だと思ってる人、いろんな人がいるとは思いますが、少なくとも「ベトナム」に米粒ほどの関心だけでも持っていれば、ベトナムの民族衣装であるアオザイの存在、そしてその美しさを知っていると思います。
そう、アオザイは美しい。女性の体を象る流線を、これでもかこれでもかとアピールしてくるのがアオザイです(男性用アオザイも存在しますがさすがにそちらはゆったりしてます)。


現在ではUネックのものやノースリーブのものなど、様々な形のものが造られていますが、数あるアオザイの中で最も美しいのは、立て襟・長袖・白のアオザイでしょう。


白のアオザイです。


もう一度言います。


白です。




白のアオザイの何がいいかって語りだすとオヤジ丸出しになるので(いや私女ですけどね)省きますが、でもきれいですよねー。きれいでしょー?

白のアオザイは、最近はどうか分かりませんが南部では学校の制服になっているためよく見かけるんですが、ハノイではとんと見かけません。ハノイでは、学校の制服は白シャツに紺ズボンなんです(最近セーラー服とかブレザーが出現)。ああ味気ない、嘆かわしい。とはいえ、アオザイは式典やイベントなどで好んで着用されますし、それ以外にも週末や、卒業・入学シーズンになると「きれいな景色の中できれいなアオザイを着たきれいな私」を写真に納めようと、文廟や博物館にアオザイを着た若い女の子が集まってきます。


シャッターチャンスでございますよ皆様!



上の写真は民族学博物館で撮ったもの。どういうわけか大学の卒業式で着るようなガウンや、赤や黄などの鮮やかなアオザイを纏った女性、あるいは少女たちがたくさん集まっていて、彼女たちにカメラを向ける外国人がたくさんいたのですが、そんな中で最も注目を集めたのは、やはりこの2人。
ほほえみを浮かべた丸顔に長い黒髪、そして白のアオザイ。これはこの上ない理想的な組み合わせです。何だかんだ私も博物館とかちょいちょい行ってますが、久々にこんな古風な子を見ました。最近みんな髪染めちゃうからね…。


ところで、現在のアオザイの原型となるものを最初に定義したのはNguyễn Vũ Vương(Nguyễn Phúc Khoát、16世紀からベトナム中南部の実権を握っていた広南阮氏の8代目)です。
彼は女性のスカート着用を禁じ、ズボン着用を義務付けました。さらに、1744年に「男性も女性も、立ち襟の短い袖の服を平服とする。袖口の広さは個人の自由。両脇から下はきっちり縫い綴じ、スリットは入れない」と勅諭を出し、歴史上初めて今のアオザイにつながる服の形(=quần chân áo chít)を明示したのです。この衣服の形は中国は上海の衣類を参考にしたといいます。
これがアオザイの始まりで、当時はまだ体のラインが出ない、ゆったりした作りでした。

現在のように体のラインを強調するデザインになったのは1930年代のこと。それまでアオザイは4枚、または5枚の布で仕立てられていたのですが、これを2枚の布で仕立てたデザインが出現しました。Áo dài Le Murの出現です。Le Murとはこの新しいスタイルのアオザイを提案した画家・Cát Tườngの名前を仏語訳したもの。このAo dai Le Murはフランスのスタイルを取り入れ、従来のアオザイに比べかなり女性性を意識したものにはなりましたが、少々露出が過ぎたようで『混血スタイル』『淫らな服』と世論の批判を浴びました。
1934年には画家のLê PhổがAo dai Le Murにさらに改良を加え、首元を詰め、体をしっかり包み込むようにする伝統服の要素も取り入れつつ、長い服の裾が風に揺れるようにしました。この伝統とモダンが完璧に調和したスタイルが当時の女性たちに大受けし、そして現在まで「アオザイの基本形」として受け継がれています。


もし私が30年代ベトナムにタイムスリップしたらこの二人を褒め称えたい。





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