変わりゆく、サパの"thổ cẩm"
初めてサパへ行ったとき、市内中心部にある教会前の広場で、ベッドカバーを買いました。
ろうけつ染めと刺繍がふんだんに施された一品で、一目惚れしたそれを、相手が20万ドンというのを値切って12万ドンで買ったんです、確か。2005年のことでした。
それから3年経って、再びサパの土地へ行くことに。社員旅行で、サパの野菜畑や鮭の養殖場などを見て周ったのですが、あのとき山の天辺に近いところで見たキャベツ畑の美しさ、空の青さ、大地の広さは圧巻でした。今までベトナムで見た景色の中で、間違いなく一番の光景でした。
そしてこの旅で楽しみにしていたのが買い物で、3年前に買ったベッドカバーに似たものがあったら買ってこようと思っていた。ところが、市場で見ても、広場で見ても、どういうわけか心惹かれず、結局何も買わずにハノイへ帰ったのでした。
そしてさらに5年経った今年、三度サパの地へと向かったわけですが、まー白い白い。景色も何もあったもんじゃない今回の旅を、私は買い物することで潤そうとしました。
じつは以前から少数民族のスカートが欲しくて、でも「買ってどうすんの」という理性が働き買わずにいたのですが、
ここサパ!!うちら旅行!!だから勢いで買っちゃえ!!!
てなわけで探しましたよスカートを。
が。
何だろう、何か違う。色とかすごく好みなのに、全然欲しくならない。
何でだろう、何でだろうといいながら、欲しいけど結局目に入るものを欲しいと思わないから、買わずにいた1日目。
2日目の朝、1日目の夜に目に留まった、ホテル内ショップで売られていたスカート(これは全然少数民族関係ない)を見に行きました。このショップ、店内の奥へ行くと少数民族の女性二人が、いわゆる「民族もの」を売っているスペースがあって、こちらのお二人も中々しつこく色々薦めてくるのですが、やっぱり何か違う。
1点目に留まったものは端が縫われておらず、完成品でないものを買ってもなあ、と結局そこのスペースを出た(逃げ出したともいう)。
実はホテルに到着したその日、結構寒かったサパに負けてそのショップでジャケットを購入していた私は、「あらベトナム語出来るのね」といういつものセリフから始まって、そのお姉さんとはすでにお喋りをするようになっていたのです。何やかんやと喋っていたら、そこに民芸品スペースにいた少数民族のお姉さんがやってきて、「これ」と布を差し出してきました。
それはさっきの端が縫われていないスカートで、実は少数民族が履いているスカートは広げると真円になるんですが、「これは巻きスカートなんだ」とのこと。
それも、「これはちゃんとサパで作られている麻でできている。古布だよ」という。
聞けば最近売られている民族衣装は化繊を使っているのだそうで、きちんと麻で作られているのはもう古布しかないんだそう。さらにその古布も、ほとんどが欧米人に買われてしまって数が残っていないという。
ポリエステルと麻の違いは、それはもう一目瞭然で、ポリエステルはやっぱり頼りなくテカテカしていて、ようやく私は「見るもの全て気に入らなかった理由」を知ったのでした。
こちらがベトナム語ができると分かった途端、さっきまで「これいいよきれいでしょ」と推してきたスカートに、「これは駄目、ウエストがもたついちゃって履いても全然綺じゃない」と強烈なダメ出しをしていたのには苦笑するしかなかったのですが、彼女たちも悩みはあるようで、それは「日本人はよく来るけど、みんな英語が分からない。かといって私たちは日本語ができないし、日本語を学ぶ環境もここにはない。だからどうやって売ればいいのか分からない」とのこと。
ああ、言葉だけじゃないよね、このサパの人たちのしつこさには辟易させられるけど、それは「売り方を教えてくれる人」がいないからだよねえ…。
加えて商品の品質も低下してるんじゃ、救いようがないというか。
いいものは高くて当たり前なんだけど、それじゃ買ってもらえない。安くするには質を落とすしかない。それに、いいものを作るのは手間がかかるし、割に合わないし。どこにでもあるそんな現実だけど、いざこうして実際に作り、売っている人を、物を、目の前にして考えて、ようやく「問題」として認識することができたのでした。
ましてmade in Japanとかmade in Itaryなら高くても納得されるけど、made in Vietnamとなると、「安くて当たり前」って消費者も思っちゃうからなおさら、ね。
職人魂なんて言うのは簡単だけど、持ち続けることは想像も及ばないくらい難しい。彼らだって生きていかなければならない。
そしてそんな彼女たちの問題を前に、何も言えない私という人間。
ああもう、哀しい山地だわ。サパ。