ハノイのはちへお。

from Hanoi, Vietnam

そこは、神の住まう場所。

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朝9時に宿を発ち、最初に向かったのはトラルパン礼拝堂(カプチーナス修道院)。敬虔なカトリック信者であったバラガンが、1953年から7年という歳月をかけて改修した礼拝堂。
上の写真はその入り口なのですが、「え、これ本当に礼拝堂?」と口にせずにはいられない。普通の家の入り口と何ら変わらない、いやむしろ地味すぎて、一般家庭の勝手口にしか見えない、というか。そもそもこのトラルパン礼拝堂がある一帯は高級住宅街といっていいので、なおさらそう思います。

入り口の向こうは、薄暗く、狭い部屋。ちょっとまって、私はあのピンクや黄色で彩られたバラガン建築を見に来たのに、と思ったのも束の間、続くドアを開けた瞬間、私はメキシコの太陽の光を思いっきり浴びることになりました。

バラガン建築には、確固たるルールと思想が存在します。
まず、「外は危険なところ、中は安全なところ」という概念。ゆえに家の内と外は隔絶されていなければならず、よって外界に触れるドアも非常に簡素で、しかししっかり閉ざされることの分かる外見になっている。

それから、「狭いところから広いところ、暗いところから明るいところへ出る」という構造を作ること。
つまり、私が最初に入った暗く狭い部屋は、まごうことなきバラガン建築のスタート地点であったわけです。

さらに、「建築には音と自然が必要である」という考えに基づき、建物内部には緑あふれる中庭や、水を湛えた噴水が存在します。また、バラガンはピンクや黄色、青に赤、薄紫といった、目にも鮮やかな色を壁に塗りましたが、そんな彼が決して使わなかった色があります。それは、緑。なぜなら緑は自然の木々の色であり、人の手で足すものではないと考えていたから。

建築には地方の土着性を取り入れた。例えば、トラルパン礼拝堂の床は黒いんですが、これは溶岩を使用しているため。そもそもメキシコシティ南部一帯は、約2500年前に起きた火山爆発により、溶岩に覆われた土地だったそうで、それを表すために、床に溶岩を使用しています。

直接照明を嫌い、間接照明を積極的に取り入れた、などなど。

そんな話を、光あふれる中庭の、白い壁を伝うブーゲンビリアの花と葉の、思わず目を細めてしまうほどに強いコントラストを見つめながら聞きます。中はとても静かで、私の訪れた時は噴水の水が止まっていたのですが、いっそ流れていてくれたなら、よりいっそうこの静寂が際立ったろうに、なんて思いました。
そう、礼拝堂の中はとても静か。まるでそこには、何も存在しないかのように。確かにここにいる、自分すらも。ここは異質で、でも美しい空間。

メキシコはスペイン領だったこともあり、国内にごまんとある教会のほぼすべて、飾り立てられた内装になっているけれど、逆にここは十字架以外何もない、といっても過言ではありません。
あるのは光と色と、花と緑。そしてただひたすらに、祈りを捧げる修道女たち。ただ、それだけ。本当にシンプルな造り。だけど、ここの空気はとてもいい。きっとここは、地球ですらない。
柔らかな黄色い光に包まれて、私はただぼんやりと、「ああ神様っているんだな」、と思いました。



残念なことに、内部撮影は禁止。私ごときの文章で、さてどこまで説明できるかなー…
中庭を通り過ぎて、祭壇のある部屋に入ると、そこは黄色とオレンジの壁…と思いきや、実は壁の色は白とピンク。天窓のガラスが黄色に塗られているため、黄色い光が降り注ぎ、黄色とオレンジに見えるんです。
祭壇の左手には、横向きに立った十字架が。この部屋にはシスターたちの座る椅子の左隣に、上から見るとV字の形になっている壁があって、その壁を挟んで反対側の天窓から差し込む光によって、祭壇に十字の影が映る、という仕組みになっています。だから、祭壇の上には十字架はなく、バラガンの友人が送った彫刻が掛けられているだけです。
この十字架のシルエットがきれいに見えるのは、4月と5月だそうです。

この礼拝堂には修道女の家族もやってくるのですが、しかし彼らの祈る場と修道女たちが祈る場は、十字架をいくつも並べて作った格子によって厳格に分けられています。そして、その家族たちが祈る部屋は、祭壇にシルエットを落とす十字架が正面に見えるようになっている。
人間の立てた十字架は万人のもの、十字架のシルエットは神の手仕事、よってより神に近づこうとする修道女たちだけがそれを真正面から受け取れる、ということなのか。
いや、でもシルエットは観光客も見れますしねー。まあ現在観光地となっていることは、改修時のバラガンの意図からは大きく外れていることだから、あながち外れてもないかな、なんて思うんだけど、どうでしょう。この辺のことについては、聞いてないか、聞いたとしたら忘れました。

とはいえ、やはり神に仕える修道女と、いわゆる世俗人である彼女たちの家族とは切り離されるべきと考えられていたようで、家族たちは修道女との面会こそ許されてはいたものの、やはりそれも格子越しだったようです。

トラルパン礼拝堂は、確かに外とは切り離された、ただひたすらに祈るための場所でした。そこにはたしかに神がいた。私は今でもそう思います。