6月のタリン・その1
hachiheo夫婦は毎年6月と12月に旅行をするのですが、今年6月の行先はラトビアの首都・リガと、エストニアの首都・タリンでした。
なのに!リガはブログにまとめたのに、タリンには!1文字も触れていない!
…これには一応理由があり、私今までベトナム数都市に、マレーシア数都市だの、バンコクだの、モスクワだのプラハだのブダペストだのウィーンだのパリだのマラケシュだのエッサウィラだのミラノだの…と行った中で(あ、街の数少ないな)、唯一「食べ物が合わない!」と強く感じた街だったのです。
料理の味自体は決して悪くないのだけど、こう…欧州らしい、どっしりした肉料理が続いたせいか、胃が疲れちゃったんですよね。日本食は無理でも、何か中華やベトナム系の、アジア料理が食べたい!とあれほど強く欲したのは初めてでした。今回の旅程はリガ→タリン→リガで、リガでは大して美味しくないながら和食もアジアンヌードルも実は食べたのです。だから、リガでは欲望の発散ができたのですが、タリンでは叶わなかった。結果、タリンの街を思い出すだけで、何となく胃のあたりに重たいものを感じてしまうようになった。そんなわけで、「もう少し時間が経って、胃の重さを感じなくなったら、ブログ書こうそうしよう」と書かずにいた結果、半年経っちゃいました、テヘペロ。2014年の内には、と思ってたら、残り2週間になってしまったよ。
リガの記事はこちら↓
旅・Latvija_Rīga カテゴリーの記事一覧 - ハノイのはちへお。
リガからタリンへは、バスで移動しました。
こちら、リガのバスターミナル。
ここのピクトグラムが分かりやすい上に可愛い!
今回利用した会社は、黄色い車体が目印のECOLINES。運賃は、往路が16.5ユーロ、復路が14.85ユーロでした(2014年5月予約分、同年6月乗車)。 上は降車場の写真。
こちらが乗り場。
とぅるっとぅーとぅとぅーとぅとぅー。こちらバスの車窓から。長閑な風景。
突然の鮮烈な黄色。もっと一面黄色に染まったところもあって、私大興奮。夫は爆睡。
無事にタリン到着!リガータリン間は約4時間半。天気がいきなり悪くなったてびっくりだわ。
予約したホステルが旧市街内にあったので、ここからトラムで移動…なのですが、問題発生。トラムは1回乗車で1.6ユーロなのですが、なんと!お釣りが出ないのだ!乗車券は車内で運転手から購入する仕組みなのですが、基本客がお金を払うまで待つ、ということはしないので、音もなく走るトラムの中、我々夫婦は無賃乗車状態。ひとまず1区間走ったところでトラムを降り、お金を崩すため、スーパーを探す。幸い、そう遠くないところで見つけました。タリンでは小銭を用意するのを忘れずにー。
なお、タリンではIC乗車券(ウヒスカールト)や、博物館の入館料割引や公共交通機関乗り放題などのサービスが受けられるタリンカードが売られています。私たちは基本的に旧市街のみをのんびりウロウロする予定だったため、元が取れそうにないからと購入しませんでしたが、滞在が3日以上だとか、新市街方面にも行く予定のある人はこちらを使うと面倒がなくていいと思います。
さてー着いたよ旧市街!こちら入り口。正面にあるのはヴィル門。元々タリンは要塞の街。タリンの街をぐるりと囲む城壁に、10あった門の内の、東門です。元は稜堡も城門もあったとのことですが、現在残るのは15世紀半ばに建てられたこの2つの塔だけ。また1530年ごろの完成時には約2.5㎞の長さがあり、64の塔を持っていた城壁も、ロシア人によって10数回に渡り部分的に破壊され、現在は1.85kmが残るのみ、塔も20幾つしか残っていないそうです。我々滞在中にこのヴィル門の向かって左手にあるマクドナルドに数度お世話になりました。
ラエコヤ広場。タリン旧市街は身分の高い人々の住んだ山の手(トームペア)と、商人や職人の住んだ下町(アルリン)とに分かれているのですが、このラエコヤ広場はアルリンの中心。
現在はレストランや土産物が広場を囲み、多数の人が行きかい、また行事に使われることも多いこの広場。1441年には当時はまだあまり例のなかったクリスマスツリーが飾られた(世界で初めてクリスマスツリーが飾られたのは1419年のドイツ・フライブルクの救貧院)という、平和なエピソードもある一方、鞭打ちや処刑等の刑罰が行われた場所でもあります。広場には丸石がいくつか埋まっており、それぞれ晒し台があったところ、計量器のあったところ、井戸があったところを示しています。首枷の残る壁もあるとか…((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
こちらの丸石は方位が書かれたもので、この石の上に立つとタリンの有名な5尖塔(=旧市庁舎、聖霊教会、大聖堂、ニコラス教会、聖オレフ教会)を全て見ることができる、とか。 「とか」って。確かめてないのかよ。
広場の名前になっているラエコヤは、「市庁舎」の意。そしてこちらが、その市庁舎。現在の姿になったのは1404年のこと。タリンの街の歴史ある建造物の殆ど全てが石灰岩を使って建てられていますが、この市庁舎もまた然り。現在は迎賓館や、コンサートホールとして使われることもあり、内部見学も可能ですが、6月は予約が必要だったんですよねー。てなわけで中には入らず。9月から6月の内部見学は要予約です。
塔の先端にいるのはタリンのシンボル、トーマスおじさん。1530年生まれの衛兵さんですが、1944年にはソ連軍の空襲を受けたり、災難にも見舞われています。現在塔の上に立つおじさんは1996年生まれ。 初代は市庁舎の中に展示されているそうです。風見鶏のようなものなので、くるくる回る。
トームペアの方にも行ってみます。
古井戸。このカップルが意味深な感じで気になって仕方なかった…。こちら、『猫の井戸』と言いまして、かつて魔物への生贄として猫を…ヒイイイイイ
アレクサンドル・ネフスキー教会。1901年に建てられたロシア正教の教会。内部撮影は不可。ロシア正教教会は撮影不可なところが多い気がする。
トームペア城の、のっぽのヘルマンの、天辺。
トームペア城は13世紀に建てられた騎士団の城。内城と外城があった上に、支配者が変わるたびに増改築を繰り返してきた城で、現在の姿になったのは18世紀後半。この最後の改築が、知事官邸としての仕様を目的としたものだったため、宮殿のような姿になりました。「のっぽのヘルマン」は、南側に建つ約50mの塔の愛称。
壁に握手を求められる。
ぴよ。
トームペア北側の、展望台からの眺め。
風見鶏の右側は、古いタリンと現代のタリンの両方が見れる。
風見鶏の左側には、古いタリンと海が見える。
飛行機と月。
プスッ
トームペアから、アルリンへと降りる道。
タリン旧市街は中世建築のモデルルーム。これもかなり中世っぽい建物。
旧市街で最も美しい通りと言われている、『カタリーナの通路』。
今も城壁がしっかりと残るムーリヴァヘ通り。エストニア伝統柄のニット製品を売る屋台が並んでいますが、この日は時間も遅くお店が閉まっていたため、屋台の写真はなし。
ヨーロッパの夏は陽が長い。ようやく空が暮れてきたところで、タリン1日目はフィニッシュ。