ハノイのはちへお。

from Hanoi, Vietnam

6月のタリン・その2

さて、6月のタリン、続きです。

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在エストニア・リトアニア大使館。バルト3国の内リトアニアだけを外したことに、夫が納得いかないようだったので、「ほうら大使館だよーこれで行った気になろうじゃまいか」と言ったら、もっと納得できない顔をされました。当たり前だな。

 

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それにしてもタリンの風向計はどれもおしゃれ。きっとそれぞれ意味があるんでしょうね。

 

 

 

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さてお食事です。15世紀の建築物を利用したレストラン、「ペッパーサック」。壁の梁部分からぶら下がっているのは胡椒袋。タリンは貿易で栄えた街で、胡椒は重要な取引物でした。タリン旧市街では、ほかにも壁から梁の突き出た家がいくつか見られますが、これは倉庫になっている屋根裏部分に物を運び上げるための、いわばクレーン替わりのもの。

 

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映画の中に入り込んだかのような店内。ラエコヤ広場にあるカフェやレストランはたいていそうですが、ウエイトレスさんたちは中世の女性たちが着ていたようなドレスを着ています。

 

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昼ビールッ!たしかハニービールです。結構癖のあるお味。

 

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ローストダック。下にたんまりあるマッシュポテトも美味しかったー!これは正解。

 

 

 

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お腹も膨れましたし、旧市街を散策。こちらは「職人たちの中庭」。その名の通り、かつてタリン市内の熟練職人たちがこの場所で製作を行っていたのですが、今は職人と言うよりアーティストが製作・販売を行う場所になっています。カフェもある。

 

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こちら、陶器のお店。

 

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お皿を一枚買いました。これを見た瞬間、私のハートが盗まれて、返ってこなかったのだ。

 

 

 

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次に向かったのは「市議会薬局」。

 

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1422年にはすでに3代目が店を守っていたという、老舗の薬局。かつてはコウモリの粉末から文房具まで幅広い商品を扱っていたとのこと。現在はまあ、普通に薬屋さん。手作りのスパイス入りワインが有名とのことですが、私たちが行ったときはなかったー(・ω・`)

 

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展示スペースなどもあり。

 

 

 

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人形劇場。

 

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さてこの日のメインイベント、オレフ教会です。

 

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元々13世紀にスウェーデン商人によって建てられ、15世紀に大改装。1820年に雷に打たれて焼け落ち、1840年に再建され、現在の姿になったというこちらの教会。タリン一高い塔を有し、かつてはKGBがこの塔を、電波の受発信に使っていたとか。

さて、このオレフ教会の塔、かつては158mあったとのことですが、現在の高さは124m。塔の上からタリン市が一望できる、とのことで、登ってみます。高いところ大好きー。

塔の入場料は2ユーロ(1.6ユーロだった気もするんだが…)。リガの聖ペーテラ教会に比べるとはるかに優しいお値段です。これは嬉しい。

 

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そりゃ安いよなあ、階段しかないもんなあ!!!!

階段は全部で258段。狭いわ暗いわ、人とすれ違うのも一苦労。

 

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特に何の慰めにもならない小窓。

 

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やっと着いたー。これは確かにいい眺め!

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海の向こうはフィンランド。

 

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何をしてるんだろう…煙突掃除人?ヨーロッパでは煙突掃除人は幸運を呼ぶと言われていて、会うことができたら握手すると幸運のおすそ分けに与れるそうです。

 

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なお、塔の上も狭い。のんびりはできないです。まあそんなに大勢の人が一度にやってくるわけでもないけど…

 

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さて、こちらのオレフ教会、建設には一人の巨人が携わっていたと言う伝説があります。彼の名は「オレフ」。教会の建設にあたり、彼はタリン市民にとてつもない報酬を要求しましたが、「ただし、この教会の建設が終わる前に、俺の名前をあんた方が知れたなら、報酬は1ペニーでいい」という条件を出しました。市民は競って彼の名を知ろうとし、ある日とうとう、彼の家を探しだし、彼の妻の歌う子守唄を聴くのです。「よい子よ眠れ、もうすぐオレフが、月も買えるお金を持って帰ってくるよ…」

とうとう、教会の塔の上に十字架を掲げるのみになったその日、市民は塔の上で作業する巨人に向かって叫ぶ―「おいオレフ、十字架が傾いてるぞ!!」

余りの衝撃にオレフは塔の上から墜落。地面に叩き付けられたオレフの遺体は、口から蛇とカエルを掃出し、たちまちの内に石化した…これがオレフ教会に伝わる伝説です。この巨人オレフの石化した遺体、このオレフ教会の壁面に横たえられています。

 

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こちら。巨人、というわりには小さい。2mぐらいかなあ。

ところで、そもそも聖オレフ教会の「オレフ」は11世紀初めに北欧におけるキリスト教の布教と定着に努めたノルウェー王・オラフ2世のことで、伝承に出てくる巨人オラフとは関係ないんだとか。でもだとしたら、オレフの建てた教会ってどこにあるんだろう、なんて、また謎が生まれたり。

 

 

 

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再び散策。

 

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タリン旧市街の下町エリアでは昔、樹木を植えることが禁じられていたため、現在でも樹を見ることが無いのですが、そんな中で異色の存在がライ通り29番地。ロシアのピョートル大帝が夏にタリンを訪れた際、この家の前で少し休んだところ、木陰がないので思ったほど慰めにならず、「次回の訪問時までに木陰を作っておくように」と命じたため、菩提樹が2本植えられたそう。この29番地の建物、他にも修道僧の幽霊が出ることで知られているとか…

(※タリンは1710年からピョートル大帝率いるロシアに占領され、海軍基地などが建てられた)

 

 

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ピック通りの「3人姉妹」は15世紀に並んで建てられた3軒の商家。その柔らかく女性的な雰囲気から「3人姉妹」と呼ばれるようになりました。別の通りには「3人兄弟」もあって、確かに見て「なるほど男性的だな」と思った記憶があるんだけど、写真がない。

 

 

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タリンに築かれた城壁の、港に通じる北門の横に建てられた砲台が、ツヴィンゲル塔、通称「太っちょマルガレータ」。高さ25m、厚みが部分によっては6mもあるという頑健な造り。17世紀のスウェーデン占領時代に建てられたものの、国内が混乱を極めた宗教改革時に完成したため、外敵から身を守るための砲台としての役割を果たすことはほとんどなかったそうです。1830年から1916年までは監獄として使用され、この監獄時代に囚人を世話していた女性の名がマルガリータだったため、現在の愛称がついたとか。しばらく廃墟でしたが、1987年から修復され、現在は海洋博物館になっています。

 

 

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 1531年に建てられ、その後タリン唯一のルネッサンス様式に改築されたブラックヘッド会館。

 

 

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 壁面の大時計が印象的なピュハヴァイム聖霊教会は、14世紀の建築がそのまま現在に至るまで残っているという石灰岩造りの建物。ただし、尖塔は1688年に再建されたもの、大時計も17世紀のもの、とすべてが14世紀のものであるというわけではありません。とはいえ、歴史のある建物であることに違いはありません。元よりエストニア人の為の教会として建てられたもので、初めてのエストニア語書籍が印刷されたのもこの教会(1525年)。

 

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シンプルな外観から想像できないほど荘厳で、装飾の美しい教会でした。 

 

 

 

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ちょっと休憩、中世の建物を使用したカフェ・「ケールヴィーデル」。

 

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ケーキはモカの方が美味しかったなあ。コーヒーに添えられたチョコレートが美味しくて、スーパーで探したけど、とうとう見つからず。リトアニア製だったからか?んなばかな。

 

 

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私の胃袋のフラストレーションがMAXになったため、何とか日本の味を安価に…と夫婦間協議を行った結果、この日の夕食はホステルで自炊。ナポリタンを作ってもらいました。

 

 

あああータリンブログ、そんな気はしてたけど2014年の内に終わらなかったーーーーあと1記事なんだけどなあ…。何しろ放置していた期間が長く、あれこれ調べながら書くのも時間がかかって仕方ないのです。年末はさすがの私も走るので、書く時間もなかったしなあ。多分、2日あたりにひっそり更新します。

2014年もあちこち行きましたが、複数のブログを読んで情報収集し、楽しい旅にすることができました。私のブログも誰かにとって、わずかでも助けになったのなら幸いです。2015年もよろしくお願いいたします。