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ハノイのはちへお。

from Hanoi, Vietnam

【ハノイ】ステンレスのご飯お盆。

突然ですが、お盆を買いました。ベトナムの一般家庭で使われている、大きいお盆です。中央にはおかずを盛り付けた皿や、鍋を置き、少し盛り上がった縁の部分にお椀やお箸、お猪口などを乗せて使います。このお盆を囲んで座り、皆で食事をとるわけですね。また、祭壇へのお供え物を盛るのにも使います。

 

ま、今どき都市部の家庭じゃテーブル+椅子が普通だけどね!そんで、我が家の構成員にベトナム人もいないんだけどね!(ベトナムにゃんはいる)

 

何故このお盆を買うに至ったか。

私はよくバスに乗りますが、最近特に乗る回数の多いのが49番のバスです。この49番に、夕食時に乗って、La Thanh通り(De La Thanh通り)を車窓から眺めるのが私は好きだ。

La Thanh通りは家具屋通り。ベッドやソファー、ダイニングテーブルやチェア、クローゼットから仏具まで、とにかく家具類であれば大概のものはそろいます。食事時に通ると面白いのが、店の中で食事をとる店主家族の姿が見れること。店の奥にキッチンとダイニングがあって、そこで食事している家族もあれば、売り物であるはずのテーブルで食事している家族もあります。そういった家族は1階で食事をとるわけですが、2階や3階にダイニングのある家ももちろんあるわけで、そういった家の場合、店が無人になっていることもあります。店の灯りは煌々と点き、商品である家具は排気ガスにさらされたまま。愛すべきベトナムの風景!

とりわけ私が好きなのが、今や数がとても少なくなった、家具職人の工房の食事風景です。薄暗い電球の灯りの下、テレビなど見ながら、床かあるいは寝台の上に座り、いくつかの皿が乗った丸いお盆を数人で囲んでいる風景。それは家族で囲む食事であることもあるし、雇われの若い職人同士で囲む食事のこともある。客を招いて、ショットグラスを満たしては空にするをひたすら繰り返す場であることもある。ともあれ、色彩に欠けるものだから貧相に見える風景ではあるけれども、私には四角いテーブルで摂る食事よりももっと、お盆を囲む車座の面々の間に近しい雰囲気を感じて好きなのです。

大きな炊飯器を傍らに置き、すこうし背を曲げて、胡坐などかきながら、同じ皿のおかずをつつき合うその風景を私が好きなのは、かつて私がその車座の一員だったことがあるからだ。

それはもう5年も前のことで、結局私はその一員であり続けることはできなかったし、また一員であった当時も別にそれを好ましくも思っていなかった(と言って嫌いでもなかった)けれど、La Thanhの家々を見るうちに、ああ、あれはとても温かくて、非常にアジア的な、いい風景だったのだと気づいたのでした。田舎の家の冷たいタイルの床にゴザを敷いて、お盆を置いて、おばあちゃんが、おばさんが、家の三男が、めいめいお盆の周りに集まってきて、箸を分け合い、茶碗を配り、互いに挨拶を交わして、あれやこれや雑談しながら食事をする。茶碗を空にするのは許されない世界がそこにある。食事があらかた終われば何かしら果物が出てきて、これはもう季節が終わりだ、だの、これは1キロいくらだった、だの言い合いながら食べ、ある者は横になり、ある者は膝を抱えながら、家族の時間をゆるゆると継続させている。

あれこれを思い出すうち、あのとき、みんなで囲んでいたあのお盆が、無性に恋しくなったのでした。

あの頃、私を車座に入れてくれていた人たちとは、もう何年も会っていない。あの頃にはもう戻れないし、戻りたいとも思わない。懐かしさや愛おしさこそあれ、未練などありません。しかしあのお盆は欲しい。あのお盆をもう一度囲みたい。今度は人の車座に入れてもらうのではなく、私自身で車座を作ろう、それにはまずあのお盆を手に入れなければならない!

幸い我が家はテーブルのない家、というか部屋なので、お盆は十分に有効活用できます。いやそもそも、バティックを敷くとはいえ、皿を床に直置きしていた今までがおかしい!おかしい!

 

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…というわけで、ハノイのかっぱ橋・ガムカウで買ってきたわけです。大・小2種類あったうちの、大きい方。ステンレス製?、直径55㎝で10万ドンでございました。高いか安いか…。小サイズには、あのホーローの会社・ハイフォン・ホーロー&アルミニウムのマークが貼ってあったけど、こちらは社名不明。

使ってみれば、これがとてもいい感じ。我が家は大皿からそれぞれの取り皿、あるいは茶碗におかずを取り分けるスタイル(これもまた古き良きベトナムスタイル!)で食事をしているのですが、そんな大人二人の食事にちょうどいい大きさでした。

 

お盆と一緒に上の写真に写っている、インドネシアからやって来た布も、日本からやって来た橅の茶碗も、夫が持っていた木製の四角い箸も、5年前にはなかったもの。車座にはまだなれないけれど、このお盆は間違いなく、「私の家族」のものなのです。